ファラデーさん 

1)製本屋の小僧さん

マイケル・ファラデーはイギリスの化学者・物理学者です。1791年エジソンより56年前に生まれました。貧乏なカジ屋の息子で政府から生活保護を受けるほどの暮らしでした。小学校を終るか終らないうちに製本屋に奉公し七年契約で働きました。
一日の仕事が終わり、片付けをしながらやりかけの本をあけて見ていました。彼はその書物の中に吸い込まれたのです。リーボ親方は「仕事を怠けさえしなければ、いくら読んでもかまやしねぇ」とはげまします。
ある時百科事典の「電気」という文字に出会います。ベンジャミン・フランクリンが雨の中でタコをあげ、電気と雷が同じものだと証明してやっと50年です。

ファラデーは電気という言葉すら知りませんでした。その後「化学実験法」という本の製本をした時に化学を知り、安い簡単な実験道具を買い試みました。それを電気にも応用したのです。
ロンドン王立科学研究所で本格的に聴講したいのですが、お金がありません。よく来る客に依頼し援助を受け、親方の許しをもらいます。そしてディビィ教授に学びます。教授は新発明の電池を使い、化合物の電気分解などに成功する若手(33歳)の有名な科学者です。
そこに至るまでには次のようないきさつがありました。21歳になり立派な職人になったファラデーは、独立を許され別の親方の所で働きますが、その親方は学ぶことに反対します。
彼は勤めを辞め「科学の年期奉公」を考え、王立学会に申込みます。しかし返事はきません。前職の親方のすすめでディビィ教授に手紙を出し、面接を受けます。ファラデーは「私は、科学者の仕事より立派な仕事はこの世にないと思います」と訴えます。
「科学者の仕事はやっかいで困難で、その割にはむくいられない。製本職人の方が暮らしも楽で安全だ」と教授はさとします。それでも頼み続けるファラデーに根負けし、「欠員ができたら考える。その時気持ちが変わっていなかったら来てください」とディビィさんは答えました。
それから一カ月後手紙が来ます。週給25シリング(1シリング約50円)月給5千円は製本工よりも安い給料です。それでも喜んで働くことにします。
その後ファラデーは発電機や電動機の原理(電磁誘導の法則)など多大な発明をしました。人間としては信仰心があつく、金銭欲が全く無く、科学研究の成果を金に替えたことは一度もありません。ひたすら科学の為に尽くし、1867年ヴィクトリア女王からもらったハンプトンコートの邸で74年の生涯を終えました。
『心に太陽を持て』山本有三

[ 2007/11/30 10:29 ] 未分類 | TB(0) | CM(0)