(3)タクシー運転手さん
「この春、4月23日月曜日午前11時20分ころ、いつもの様に自宅までの迎えを頼みました。
電話の折に病人ですのでよろしくといっておいたのですが、この時の運転手さん、家の中まで迎えに来て下さり、病気の母をバプテスト病院に着くなり、抱えて運びタンカに乗せて下さいました。
おまけに千円札しか出していない私に足らない車代40円をいらないとまでいわれて…。母はとても歩ける身体ではなかったので、女の私共では、とてもあの様にすばやく母を寝かせなかったと思います。病名は、急性肺炎でした。あと少しで生命をなくすところを助けて頂いたわけです。
母は一週間ほど生死をさまよい、一カ月入院し何とか退院致しました。早くお礼をと思いながら、世話にかまけ、私は今嫁ぎ先の神戸に帰りました。あの時のご親切は決して忘れません。
小林様御自身のおやさしい性格もさることながら、貴社のご教育のよるところも大と思います。運転手さんのなかには、一分でも損をしたと思ったり、病人を抱き上げるなどまっぴらご免といわんばかりの方々が多い中、ただただ頭の下がる思いでございます。どうぞいたらぬ私のお礼の気持ちを小林様に伝えて頂きたく、社長自らおほめのお言葉をお与え下さいますれば嬉しゅうございます。どうぞよろしくお願い致します。」
これはMKタクシーという会社に寄せられたお客様のお礼状です。
(4)メキシコの漁民
アメリカのビジネスマンがメキシコの漁村の突堤に立っていると、一人の漁師がやってきて突堤に舟をつけました。舟のなかには大きなマグロが何匹かありました。
アメリカ人はみごとな魚を誉め、捕るのにどのくらい時間がかかったか聞きました。
メキシコ人は答えました。「なぁに、ほんの一時さ」
するとアメリカ人はどうしてもっと長く海に出て、もっとたくさん捕らないのかと聞きました。メキシコ人は、「さしあたり家族を養うにはこれで充分だからね。」と言いました。
するとアメリカ人は聞きました。「それじゃ、ほかの時間は何をしているんだね?」
メキシコ人は答えます。「ゆっくり朝寝してちょっとだけ魚を捕り、子どもたちと遊び女房のマリアと昼寝して、毎晩ぶらぶらと村に行き友達(アミーゴ)と一緒にテキーラを飲んだり、ギターを弾いたりしているよ。充実した忙しい生活をしているのさ、セニョール」
アメリカ人はバカにしました。「私はハーバードのマネジメントを専攻しました。君を助けてあげられるよ。君はもっと時間をかけて魚を捕り、その収益でもっと大きな船を買うべきだ。それで収益があれば君はさらに何艘か船を買うことができる。ゆくゆくは一艦隊ほどの漁船を持つようになる。
捕れた魚を仲買人に売るのではなくじかに加工業者に売り、いずれ自分の缶詰工場を開設する。製造、加工、販売、を一手に握るんだ。この小さな漁村を離れ、メキシコシティに引っ越さなければならないな。そのあとロサンゼルスに、やがてニューヨークに進出して、大企業を経営するようになる」
メキシコ人の漁師は聞きました。「でもね、セニョール、全部でどのくらい時間がかかるんだい?」
これに対してアメリカ人は答えました。「15年から20年といったところかな」
「で、その後は?」
アメリカ人はからからと笑い、それからが最高のお楽しみなんだと言いました。
「潮時を見計らって株を公開し、売却してうんと金持ちになる。百万長者になるんだ」
「百万長者に? その後はどうなる?」
アメリカ人はいった。
「そのあと君は引退する。海岸の小さな漁村に引っ越し、ゆっくりと朝寝坊して、ちょっとだけ魚を捕り、子どもたちと遊び、奥さんと昼寝して、夕方になるとぶらぶらと村に行き、アミーゴと一緒にテキーラを飲んだりギターを弾いたりするのさ。」
漁師はちょっと考えてからから「アドバイスありがとうございます。せっかくですが、15年をムダにせず今のままでいます」と答えました。
『人を動かす50の物語』M・バーキン
(5)勉強よりすばらしいもの
小松まり子さんという37歳のお母さんのお話しです。この方のお子さんは足が不自由でしたが、車椅子で小学校に通った六年の間、お父さんとお母さんは一度として車椅子を押されたことがなかったそうです。近所の子供たちが当番を決めて六年間ずっと送り迎えしてくれたそうです。
そして中学校に入るとき、一緒に普通の中学校に行けると思ったら、教育委員会からの「お宅のお子さんは施設に入れて下さい」という指示がきたのです。そのとき友達が猛反発をしました。署名運動までして中学校の校長先生を動かして、同じ中学校に通うことができました。
三年間また当番を決めて友達が送り迎えをしてくれました。そして、小松さんの息子さんは体が弱いから欠席も多かったけれども、何とか卒業までこぎつけました。
ところが、風邪をひいて、晴れの卒業式に出られなくなってしまいました。そのときに「お母さん、小学校六年間、中学校三年間支えてくれた友達に僕お礼が言いたい」といって、朝ベランダに出て卒業式に行く友達を見送りました。
みんなが手を振って「おまえの分までがんばってくるからな」といって卒業式に行きました。お父さんが早く帰ってきて、家で親子三人で卒業祝いをする約束でした。昼ご飯どきにチャイムが鳴ったから、お母さんは、お父さんが早く帰ってきたと思って飛んで行きました。
そうしたら、そこに立っていたのは卒業証書を持った校長先生と各学年の先生方と友達でした。そして校長先生が「今から、お宅のお子さんの部屋で卒業式をしたいんですが、よろしいでしょうか」とおっしゃいました。車椅子の息子さんとお母さんを前にして校長先生が卒業証書を読まれ、各学年の先生たちが「よくがんばったね」と握手をしてくれました。
友達が拍手で祝福してくれたときには、息子さんはうつむいて涙を流していました。「私たちは、先生や友達の顔をまともに見ることができませんでした。
息子は三年間中学校で何を学んだか分かりませんが、優しさが人をすばらしい人間に変えていくということを学んでくれたら、それだけで十分です。学校で習った勉強よりも、もっとすばらしいものをうちの子供は学んだ気がします」
次は、福岡のある中学校の話ですが、同級生が亡くなったとき、友達がお葬式に行こうとしたら、校長先生が「授業日数に影響するから行ったらいかん」と止められたそうです。困った友達は亡くなった同級生の家に代表を行かせて、お父さんお母さんにこうお願いしたそうです。
「クラスのみんなで○○君を送りたいので、どうぞ霊柩車を学校の正門に回してください」
当日、霊柩車はルートを変えて、学校の正門前を通って行きました。クラスの仲間はみんなで同級生を見送ることができました。
『心ゆたかに生きる』林覚乗
(6)忘れていませんか?
お隣のデービッドには五歳と七歳になる二人の子どもがいます。
ある日、彼は裏庭で七歳の息子ケリーに、芝刈り機の使い方を手ほどきしていました。デービッドが向きを変える方法を教えていると、妻のジャンが後ろから彼を呼びました。デービッドが振り向いたそのすきに、ケリーの押す芝刈り機は芝生から飛び出して、花壇を幅60センチほど帯状に刈りこんでしまったのです。
振り返ったデービッドは、思わずかーっとしました。人が羨むこの花壇には、大変な手間と時間をかけてきたのですから。声を荒げて息子を叱り出したそのとき、妻のジャンが足早にやって来ると夫の肩に手をかけて言いました。
「デービッド、忘れないでね、子どもを育てているのよ。花を育てているのではないわ」
ジャンのその言葉は、子どもの親として、何を一番に考えるべきかを私に思い出させてくれました。
形あるものは壊れます。大切なのは、子どもたちとその自尊心を育てることなのです。野球のボールが当たって割れた窓ガラスも、不注意で壊れたランプも、落として割れたお皿も、すべてもう済んでしまったことなのです。花壇の花も、もう刈り取られてしまいました。
その上、子どもの精神を踏みつぶし、その生き生きとした子どもらしさを奪うようなことは、避けなければいけません。
ある日、若い女性が仕事を終え、家に帰ろうと車を運転していました。ところが、車のフェンダーを、前の車のバンパーにぶつけてしまいました。
この車はショールームから出て二、三日しかたっていない新車だったのです。彼女は泣いてしまいました。この事故のことを、どうやって夫に話したらよいのでしょう?
ぶつけられた人は女性に同情してくれましたが、お互いの運転免許証番号と登録番号を書きとめなければいけません。そこでこの女性が、大きな茶色の封筒から書類を出そうとすると、中から一枚の紙が落ちました。
それには男らしい字で「もし事故にあっても……僕が愛しているのは車ではなく、君だということを忘れないで!」と書かれていました。
『心のチキンスープ』
ジャック・キャンフィールド & マーク・V・ハンセン