やっぱり行こう。行って京子を応援してやろう」
河田うたさんは、ベランダへ開け放った窓を閉め戸外へ出た。
公立高校への道は一キロもないので、うたさんは日陰を選びながら歩いた。
クラス対抗の競泳は最後の種目だと京子が言っていたから、まだ間に合うだろう。
……一週間前あの子があんなに泣いたのに、私は慰めてやることができんじゃった。体が弱いから養護学校の方がいいといわれながらも、とうとう中学も高校も普通学校で通してきた。あの子は頑張って高校三年生までやってくれた。小さい時のマヒが残っているので、体育の成績はいつも「2」か「1」しかもらえんじゃったが、他の教科は「5」と「4」ばかり。私はいつも仏壇に座って、亡くなった主人にそれを報告するのが楽しみじゃった。それが……。
先週の土曜日学校から帰ってきた京子さんは、いつもと違って元気がなかった。
「京子どうしたんね?」
うたさんが聞いてやると、驚いたことに京子さんは突然泣き出し、三畳の自分の部屋に入ってしまった。
やっと口を開いた京子さんがたどたどしく話したところでは、体の不自由な自分がなんと水泳大会のクラス対抗リレーの選手に選ばれたというのだ。
その日の放課後のクラス会で、リレーの選手を選ぶことになった。25メートルずつ男子二人、女子二人、計四人が泳ぐのだ。三人まではすぐに決まった。三人ともスポーツの得意な生徒だった。残りの女子一人を選ぶことになって、クラスでいつもいじめをしたりしている生徒が「京子がいいぞ」と突然言った。
みんなその意味がわからなかったが、その生徒の子分たちが、すぐに「それはいい」と拍手をした。その卑しい笑顔には「京子がどんな格好で泳ぐのか見るのが面白い」と書いてあるようだった。
京子さんは、まさかのことにびっくりした。人前に水着姿で出ることを思うだけで恥かしい。小さいときのマヒの後遺症で、片足は細いし、少し短いのだ。それに浮かんだことはあるが、泳いだこともない。
「そんな!」という気持ちで顔を上げ、周囲を見た。誰か助けてくれると思ったが、帰ってきたのは同意する意味の拍手と「京子がいい」という幾つもの声だった。
茫然とした気持ちで、京子さんは家に帰った。お母さんに打ち明けて、泣きたいと思った。それしか心の傷は癒されないと思った。
しかし、打ち明けを聞いたお母さんは「選手になれって? いいじゃないですか。京子は何でもできるから、普通学校でやってこれたんよ。胸を張ってリレーに出るのよ」
その答えを聞いて、京子さんの絶望はますます深まった。きついお母さん、京子のことなんかちっともわかってくれない!
ところが、しばらく机にうつ伏せしてないていると、お母さんの声が聞こえた。
「あなた、どうか京子を守ってやってください。京子が学校で大変な目に遭っているのです。どうか立派に泳げますように……」
続いてなにやら念仏のようなものが聞こえる。お母さんは仏壇の前に座って、亡くなったお父さんにお願いしているのだ。
聞いているうちに、亡くなったお父さんのことを思い出していた。
4つのころだから、はっきりは覚えていない。しかし、暗い病室のベッドで、優しい笑顔で頭をなでてくれた感触が、今も残っている。
京子さんは、仏壇の前に座っているお母さんの後ろに座った。
「すみません。京子、リレーに出ます。一生懸命泳ぎます」
お父さんとお母さんに約束した。
しかしその後二回ほどプールで泳いでみたが、いくら手足を動かしてもほとんど進まない。そのうち体が沈んでくる。そのことはお母さんには言えなかった。
学校への道を急ぎながら、お母さんも昔を思い出していた。
……あのころは、本当に不幸のどん底にうごめいていたように思う。主人は30歳だった。私は25歳。手足にマヒがあって体の弱い京子を抱えながら、小さな果物店をやっていた。
はじめのうちは良かったが近くにスーパーができて、みるみる客足が減った。銀行、公庫、サラリーローン、みんなうまくいかず、借金ばかり増えていった。
京子が三つのころ、もうどうしようもないところまでいっていた。少しでも借金を返そうと、しばらく京子を主人の親許に預けて、生まれて始めてキャバレー勤めもした。
主人は小さな機械工場に通ってなれない仕事をやってくれた。何とかうまくいきそうだと思ったところへ、主人が仕事中腰の骨を折って三カ月の入院。
しかもその間に、家に泥棒に入られ、わずかに貯めた給料を盗まれてしまった。そうするうち主人も良くなり、あと一カ月くらいで退院というとき、今度は私がストーブ上のやかんをひっくり返して両足大やけど、即入院。
入院費が払えず、包帯がとれないまま退院。主人の方はまた仕事に行き始めたが、追い討ちをかけるように半年後には主人の会社が倒産。
サラ金に毎日のように脅かされて、親子三人家を空けて、公園で夜を明かしたこともあった。そんなあげく主人の肺ガンが発見され、一年後には……。
学校に近づくと校庭の隅にあるプールのほうから、ワーッと歓声が聞こえてきた。
プールサイドのスタンドは、高校生でいっぱいだった。白い制服で赤い旗を振って応援している生徒もいた。自分の出番が終わったのか、水着姿ではしゃいでいる子もいた。
向かい側にはテントが張られ、先生たちやPTAの役員らしい人達が並んでスチール椅子に座っている。
ちょうど、三年生のクラス別リレーが始まるところらしかった。
「第1のコース3年1組」
うたさんは、プールサイドに目をやった。
「第2のコース3年2組」
マイクが告げると、選手たちが立ち上がってスタンドに向かって手を上げる。
京子はどこだろう。目で追うと3年4組の生徒が二人ずつ、プールの両側に進みだした。ああ、近いほうのサイドに京子がいる!
前の男子生徒に隠れるようにして、細い体を自分でいたわるように両手で胸をだくようにしている。前の男子はスタンドを見上げて手を上げているが、京子さんはうつむいたままだ。マイクが競技方法を説明し始めた。
男子二人、女子二人がプールの片道25メートルずつを泳いでリレーするのだ。
「ヨーイッ、ドン」
号砲とともに、第一泳者がザブンと飛び込んだ。ワーッという歓声が起こる。
「頑張れ1組ッ」
「いけよ4組」
スタンドははじめから総立ちだ。
うたさんは、泳ぐ選手たちを見ていられなかった。じっと京子さんを見ていた。
「しっかるするのよ。頑張るのよ」
そればかりを念じていた。
各コースとも第一泳者から第二泳者に、そして第三泳者の女生徒が飛び込む。最後は京子さんたち第四泳者だ。第三泳者が近づいてくる。京子さんがスタート台に立った。表情はうたさんの場所からは見えないが、一瞬空を仰いで拝むようなしぐさをした。
4組がトップだ。京子さんが飛び込んだ。
「ワーッ、ワーッ」
歓声が大きくなっている。続いて他のコースでも第四泳者が飛び込んだ。
京子さんは必死で手足を動かしている。うたさんも拝むような気持ちで見つめていた。
中ほどまで来た。頑張れッ。思わず声が出た。しかしそのあたりで、京子さんの体はほとんど進まなくなった。
隣のコースの子が抜いていく。反対側のコースの子が抜いていく。みんなつぎつぎゴールしていった。気がつけば、歓声の中でプールには京子さんただ一人泳いでいる。泳いでいると手と足を動かしているだけで、進まない。アッ沈みそうだ。
その時、テント席から背広姿の男性がプールに近づいた。そして服を着たまま、ザブンとプールに入り京子さんの泳いでいる所に近づいていく。
「アッ、校長だ、校長先生だッ」
飛び込んだのは校長先生だった。自分の目の前で、文字通りもがいている生徒を見逃せなかったのだろう。
歓声はいつのまにかやんでいた。静かになったプールを、校長先生は「頑張れッ」「もうすぐだ」と叫びながら、京子さんを支えるようにしてゴールに近づいた。そしてゴールイン! 猛烈な拍手がスタンドから起こった。
うたさんは、ゴールインした二人の姿が涙に曇って見えなかった。早く京子を抱きしめてやりたい、そう思うとそれ以上我慢できなかった。スタンドに駆け降り、濡れた体を校長先生に支えられて立っている京子さんのほうへ走っていった。
『会えてよかった』黒田清
感動は行動から生まれます。ただじっとテレビを見ていたり、ゲームを