人生目標 

この子は世の光

西本幸造さんは昭和二年生まれ、生きていれば80歳になります。

長野県奥野村というところで生まれ育ちました。

ここは豪雪地帯で、もっとも貧しい村の一つです。山の急斜面が畑で、ここで家族そろって畑仕事をしていました。

しかし幸造さんは、とにかく勉強ばかりして一切遊ばず、友だちもつくらずクラスメート全員が競争相手と考えていました。

高校も一番で卒業し、東京の大学に入学しました。両親、親戚、村人は「この村に錦を飾ってくれ」と激励しました。

「勉強の虫」と大学でもいわれ、日本有数の電気機械会社である日本GKに、50倍の競争率を突破して入社できました。

そこでも競争心をもやし、同期、ライバル、先輩を抜いてどんどん出世していきました。そして45歳で重役になりました。

47歳の時社長が病死、遺言で最も若い幸造さんが社長となり、業界で大きな話題となりました。

50歳の時に妻が病死し、長男はアメリカ、次男は家出して行方不明と、家族はバラバラになっていました。

お手伝いさんもなかなか長続きせず、家は幸造さんだけでした。

東京郊外の高級住宅地に800坪もの敷地、、豪華な邸宅に住み、高価な調度品に囲まれていました。

しかし使っている部屋は八畳間一つだけで、あとの部屋は埃まみれです。

デパートの地下食品売り場で買ってきた惣菜を一人で食べ、訪ねてくる友人もいない、そんな生活でした。

クラスメート、会社の同僚、同業者は皆敵であり、ライバルでした。こんな寂しい生活でしたが、まったく気になりませんでした。

何故なら仕事が生きがいだったからです。

57歳のとき、大病にかかりました。ガンです。

病気になってから彼は、通院や仕事の合間に障害児の作品展示会などを見るようになりました

長男の子である初孫が、ダウン症という先天性の障害を持って生まれてきたからです。

幸造さんは障害児とは無縁、自分とは関係ないと思っていました。

しかし、自分が病に侵され初めて、障害を持つ孫とその家族のつらさがわかってきて、障害児の作品を買い、それを八畳の部屋に飾ったのです。

幸造さんはそれらの作品を見て、初めて涙を流しました。何かがおかしい。

「金持ちになりたい」と、ただそれだけを目標にがむしゃらに走ってきて、お金も地位も立派な家も手に入れました。

しかし、さびしい。家族も友だちも趣味もない、そして健康どころかガンになり、食欲もない。

幸せとは何か? 初めて考えてみました。そして、民間の知恵遅れ児童の施設を見学する気になり、訪ねてみました。

どの子も光り輝いていました。損得、ライバル、敵は一人もいない、純粋な人間の喜びに満ちあふれていました。

その夜、幸造さんは胃ガンの痛さにたえられず入院し、危篤状態の中で息子に電報を打ってもらいました。

「できれば孫に会いたい、連れてきてくれないか」と。

そして「私の生きる目的は間違っていたようだ。私が欲しかったのはお金ではなかった。地位や家、財産でもなかった。

私が欲しかったのは友人だった、家族だった、家族の愛や人の情けだった」ということに初めて気づいたのです。

四歳の孫がアメリカからやって来ました。幸造さんは声も出せない重い状態でした。突然、孫が叫びました。

「じ、てん、じ、てん」

「じいちゃんは天国へ行く、僕はその天国から来たのです」

孫の叫びが、幸造さんにはそう聞こえました。

「じ、てん、じ、てん」幸造さんはその言葉を天の声のように感じました。天がこの世につかわせた「救世の子」、それがこの子、この子は世の光。

幸造さんの目は涙で濡れ、静かに手を合わせて死んでいきました。58歳の暮れのことでした。

『この子らは世の光なり』伊藤隆二

[ 2008/06/05 08:23 ] 未分類 | TB(0) | CM(2)