殉職 

(1)教育に教科書はない

その日、昭和18(1943)年10月9日は赤松小学校の遠足の日。6年生約200人が後川を渡って、歌人の北原白秋の生地で有名な福岡県柳川市へ徒歩で出掛けました。
悲劇はその帰途、生徒を乗せた渡し舟の一隻が筑後川を横切って、渡し場に着く直後に起きました。船が浸水し転覆して、昼前から降った雨で水量が増した筑後川に、一般客とともに生徒70人が投げ出されてしまったのです。
副田美代次先生(当時34歳)は、濁流に飛び込むと手に触った生徒たちを手当たり次第に救助船や岸辺で救い上げました。革靴にゲートルを巻き国民服姿のため、泳ぎが自由にできません。先生の口からは「(人数が)まだ足らん、まだ足らん」と言う呪文のような声が聞こえたといいます。



14人の子どもたちを救ったところで副田先生は力尽き、6人の生徒たちと共に筑後川に呑み込まれてしまいました。水死体であげられた手には、国民服のボタンが握られていたといいます。ボタンを外す余裕もなかったため、引きちぎって脱ごうとされたのでしょう。
赤松小学校に建てられた顕彰碑の台石には、当時の全校児童約1,200人が、ひとりひとり自分の氏名を書いた小さな石が埋められています。先生と子どもたちの慰霊祭が終わった後、夕焼けの中を筑後川までその石を拾いにいったそうです。そして、合掌しながら石を積み上げて慰霊塔をつくりあげました。
今でも赤松小学校では学校行事で郊外に出掛けるときに、先生の碑の前で「いってきます」と無事を誓うことを指導されているそうです。
「私の名前も、担任の名前も卒業生は五年もしないうちに忘れてしまいますが、副田先生の名前だけは生徒たちは忘れないのです。これがうちの学校の誇りです」
校長先生の言葉です。
そして、副田先生に助けられた14人の生徒のうちひとりは、現在佐賀で教鞭をとっておられます。副田先生に対する一番の恩返しは、自分が先生になり立派な子どもを佐賀で育てることなのだとおっしゃっているそうです。
『自分が好きですか』林覚乗
[ 2008/05/25 11:54 ] 未分類 | TB(0) | CM(0)

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